かまってちゃんのお友達

「あのね、今日ここをケガしたの」

 

まりんちゃんは小学校の帰り道、必ず身体のどこかしらを指差して訴えてくる女の子。

海が好きな子なのでまりんちゃんとしておこう。

彼女は娘の小学校のお友達で、いつも不安気な表情をしている。

 

「どこでケガしたの?」

 

そう聞きながら指差しているところを見ても、だいたいは傷や打撲の跡は見当たらず、あっても全くたいしたことはなさそうなのだが、話を合わせて心配してあげると多少は気が済むようだった。

 

 

 

私を見るなり足を引きずって歩きはじめることもよくあった。大げさに痛がったりしゃがみ込んだりしながら帰り道を進むので、知らないお婆さんに「あの子だいじょうぶなの?」と咎められるように声をかけられたこともある。

 

「だいじょうぶです。ちょっとかまって欲しいだけなので、本当はケガなんかしていませんから」

 

私がまりんちゃんに気付かれないよう小声で言うと「あら、そうなの」と安心してその方は去って行った。

 

 

 

娘を学校に迎えに行くと、帰路が同じ6、7人の児童をいっしょに連れて帰ることになる。

 

他の子どもたちもなんとか大人の私の関心を引こうと、それぞれ今日学校であったことなどを一斉に話しかけてくる。

 

まりんちゃんだけは相手の興味を引くために、身体の不調を訴えなければ関心を引けないと思っているようで、この子はなぜこうなのだろうと考えていた。

 

 

 

朝、小学校の正門が閉まっている時間に、大幅な遅刻をして登校してくるまりんちゃんを見ることが何度かあった。

 

娘を送った帰りにひとりで学校へ向かう彼女を見かけたときは、いっしょにお話ししながらもう一度学校まで歩いて行った。

 

雨の中、傘もささずに学校へ歩いているところに出会ったこともある。

 

家が遠いため途中で雨が降り出したのだろう。

 

傘をさしかけながら学校へ送っていく道すがら、朝起きられなくてお母さんに怒られたことなどを話してくれた。

 

 

いつも何か反省しているようなまりんちゃん。

この子はちゃんと甘えることができているのだろうかと気がかりだった。

 

 

小学校が歓楽街近くにあるため、登校時間に朝帰りの酔っ払いとすれ違うこともある。

子どもに何かあってはいけないので、遅刻してひとりで登校時間外に歩かせないでほしいと学校側から再三注意を受ける地域だ。

 

まりんちゃんはまだ入学したばかりの1年生、ご家族が学校に送ってあげることはできないのだろうかと心配をしていた。

 

 

そのうちまりんちゃんがお母さんの車で学校に送ってもらう姿を何度か見かけた。

学校側から何か言われたのかもしれない。

お母さんは見るからに不機嫌そうだった。

彼女自身も仕事に行かなければならず、その前に保育園に下の子を送り届けなければならないようだった。

朝の忙しい中、上の子まで学校に送り届けなければならないことに憤っていたのかもしれない。

 

そのうちまりんちゃんは遅刻せず早く登校するようになり、朝会うことはなくなった。

 

 

 

娘が小学校に入学してからしばらくの間、いつもいっしょに下校する子たちを毎週うちで遊ばせていた。

 

まりんちゃんも何度も遊びに来ていた。

 

 

あるときキッチンに立っている私のところに彼女がいつの間にか寄ってきて、ポツリポツリと自分のことを話しはじめた。

 

 

 

「まりんはね、ほんとは他の小学校に行くはずだったんだよ。前は苗字も違ったんだよ。小学校に入る前に本当のお母さんとお別れしてきたの。おじいちゃんとおばあちゃんともお別れしたの。すっごく泣いたんだよ。引っ越したくないっていっぱい泣いたんだよ」

 

 

 

そして今度は新しいお母さんと、そのお母さんが連れてきた弟といっしょに住み始めたこと、新しいお母さんは弟のことだけかわいがるので、家ではいつも飼っている犬といっしょにいることなどを話してくれた。

 

 

 

まりんちゃんが話してくれた内容に驚いたとき、本当はもっといろいろ聞きたかったのだけど、親御さんの知らないところで子どもに家庭の事情を話させてはいけないと、ただまりんちゃんが淡々と話すのを聞いて共感するしかなかった。

 

「お母さんと離れたとき悲しかったね」

 

「ワンちゃんがいてよかったね。ワンちゃんもまりんちゃんのことが大好きだろうね」

 

 言えるのはそんなことくらい。

 

 

 

まりんちゃんの新しいお母さんとはあいさつ程度しか交わしたことはなかったが、20代後半くらいの若くて綺麗でとてもきちんとした印象の方だった。

 

しつけにとても厳しいようで、まりんちゃんはうちに来る子どもたちの中でも特にお行儀の良い子だ。

 

 

うちに遊びに来はじめた頃、彼女はお菓子やお茶に決して手をつけようとしなかった。

みんなでいっしょに食べようと誘うと、お母さんにお茶も飲んではダメと言われていると下を向いた。

 

慌ててお母さんにLINEで相談し、他の子といっしょにお菓子を食べる許可をもらったこともあった。

 

 

子育てに対していろんな気負いが感じられて、お母さん自身が苦しいのではないかと心配になったり、勝手に子どもにおかしを食べさせる私の方がおかしいのかと悩んだりした。

 

 

 

まりんちゃんの家はお友達の中で一番遠い上に、交通量の多い狭い道路を歩かねばならない。

夕方5時過ぎ、交通量の多くなる時間帯に6歳の子をひとりで帰らせるのが不安で、うちに遊びに来た帰りに何度か家まで送っていった。

 

 

実際、彼女の歩き方はとても危なっかしくて、狭い道路で車の横スレスレを駆け抜けたり、突然道を横切ったり、車のほうが気を付けてくれなければいつ事故に遭ってもおかしくないような歩き方だった。

 

それに本当によく転ぶのだ。

 

学校帰りに膝から血を流してワーンと泣いているところに遭遇し、慌てて学校の保健室まで連れて行ったこともある。

 

 

何度か住んでいるアパートまで送っていると、ご両親が気にして迎えに来るようになった。

こちらは娘と散歩がてらいっしょに歩いているだけなので気にしないでと言ったのだが、やはり気が済まないらしかった。

 

 

その後お母さんがうちまで車で迎えに来るようになり、とうとう「ひとりで帰らせてください」と言われてしまった。

 

 

いっしょに住み始めて数か月しか経っていないのだから、もう少し優しくしてあげてもいいのではないかと彼女の育て方に批判的な気持ちが芽生えそうになることもあった。でもやはり彼女なりの教育方針があるのかもしれず、そこに口を挟むのはタブーだろうと何も言えなかった。

 

 

 

そしてあるとき、家で遊んだ子供たちを娘といっしょに大きな通りまで見送っていると、点滅信号で子ども2人がいきなり駆け出し、止める間もなく渡りきってしまった。

 

向こう側に渡ったお友だちを見たまりんちゃんは、完全に信号が赤になっているのにも関わらず、その子たちに追いつこうと横断歩道に飛び出した。

 

 

「危ない!」

 

 

私はびっくりして大声で叫んたが、国道の喧騒の中に声がかき消されていく。

 

動き出した車の列が、前しか見ていないまりんちゃんの方に進み始めた。

 

一番前の大きなトラックがガクンとブレーキをかけて止まり、続く車列からのクラクションの嵐。彼女はそんなことには全く気付かず横断歩道を渡り切った。

 

私は娘の手をしっかり握ったまま、車の列に何度も頭を下げて、走っていく彼女を見送った。

 

 

 

その日、ご両親はまりんちゃんの危なっかしさを分かっているのだろうかとひとり悶々と考えていた。学校帰りにも何度か危ない場面に遭遇したことがある。しかしあいさつ程度しか交わしたことのない親御さんに、あの子をひとりで歩かせることの危なさを訴えてみたところで、ただ子育ての仕方を批判されていると感じさせるだけかもしれない。

 

親同士でのそんな話は角が立つばかりだろう。

 

 

 

いろいろと考えた挙句、うるさい親だと思われてもいい、学校の教頭先生に相談しようと思い立った。

 

交通量の多い道路で車道に飛び出す生徒がいて危ないこと、そしてまりんちゃんの横断歩道での怖い出来事について。

 

 「十分なご指導はされていると思いますが、もう一度学校で一年生に徹底した交通指導をお願いできませんか」

 

 

翌日、教頭先生にそのように相談すると、すぐにみんなで通学路を歩きながら交通ルールの確認をするという指導をしてくださった。

 

 

それでも危なっかしいまりんちゃんのことを思うと放っておくことができず、うちに遊びに来た後は危険の少ない道までしばらく送って行くようにしていた。

 

 

「お母さんにひとりで帰るように言われたんだよ」

 

 

いっしょに家まで送ろうとする私と娘に、悲しそうに言うまりんちゃん。

用事があるからいっしょに途中まで行くだけだよと言うと、ホッとした顔で嬉しそうに笑っていた。

 

 

 

まりんちゃんは下校中にもいろんなお話をしてくれた。

 

週末や連休に家族で海やプールに行った話、

 

お母さんのお友達の家で映画をいっしょに見るのが楽しみでワクワクしていること、

 

お母さんが髪を結んでくれたと可愛いヘアスタイルを嬉しそうに見せてくれたのはとても印象的だった。

 

新しいお母さんの優しい一面をうかがえる話を聞くと心底ほっとした。

 

 

 

ところがあるとき、髪を切りたくないのにお母さんに切るように言われたと、彼女はショートボブになっていた。

 

お母さんのお友達の美容師さんにカットしてもらったのだそうだ。

 

髪が結べる長さまでやっと伸びたこと、お母さんがかわいく結んでくれるのを喜んでいるまりんちゃんを知っていたため、私も悲しい気持ちになった。

 

 

でもそのショートボブは、プロの美容師さんがカットしただけあって、とてもかわいくスッキリ仕上がっていた。

 

「そろそろ水泳が始まる時期だから、濡れた髪で気持ちの悪い思いをしなくていいよう短くしてあげたのかな」

 

なんとかそう思いなおすことにした。

 

 

 

「かわいくなったじゃない!さすがお母さんはセンスがいいね。まりんちゃんに似合うヘアスタイルがよく分かってるんだね」

 

 

 

大げさなくらいかわいいかわいいと彼女のことを褒めると、実は彼女も結構気に入ってるらしく、嬉しそうに笑っていた。

 

 

自分の子と、血のつながらない子を同時に育てる苦労など経験したことのない私は、まりんちゃんの新しいお母さんに対してどんな批判的な感情も持ってはいけないと気を付けていた。

 

仕事をしながら自分の子を育てるだけで必死な状況かもしれない。それなのに、かまってほしくて常に怪我や病気を訴えてくる他人の子どもにずっと寛容でいられるだろうか。

 

 

きっとお母さんは必死でがんばっている。

 

 

まりんちゃんから見て弟ばかりかわいがるお母さんも、弟さんがまだ小さくて手がかかるから仕方ないだけで、お母さんなりに努力されているのだろう。

 

 

 

まりんちゃんがうちに遊びに来ているときに、お母さんが弟とふたりでお買い物に行ってしまったことをメールで知りがっかりしていることがあった。

 

 

 

「私もお母さんといっしょにお買い物に行けばよかったかな」

 

 

 

それを聞いて、まりんちゃんは新しいお母さんのことが大好きなのだな、いつも楽しくお買い物をしているんだなと胸をなでおろした。

 

 

 

そのうち、娘の登校しぶりの問題などで他の子たちをかまっている暇がなくなり、発達障害で集団が苦手な娘は他の子を避けて静かな時間に登下校しなければならず、お友達が家に遊びに来たがるのもたびたび断らなければならなくなった。

 

 

そうしてまりんちゃんとお話しすることもあまりなくなっていった。

 

 

 

2年生のクリスマス頃、久しぶりに子供たち7人ほど集まって家で遊んでいたときのこと、まりんちゃんがキッチンにいる私のところに静かに寄って来てお話しをはじめた。

 

 

 

本当のお母さんといっしょに暮らしているとき、お父さんが帰って来なくてお母さんがビールばかり飲んでいたこと。

 

 

 

 「それでお母さんごはんも作らなくなってね、私がどんどん痩せてガリガリになっちゃったからいっしょに住めなくなったんだよ」

 

 

 

 私はなんと声をかければ良いのか分からず、こんなに小さいのになぜこの子はこんな苦労を背負わなければならないのだろうと胸が締め付けられる思いだった。

 

 「離れて暮らすようになってお母さんと会うことはあるの?」

 

 はじめて私からまりんちゃんの本当のお母さんのことについて質問した。

 

 「一回だけ電話がかかってきたことがあるよ」

 

 まりんちゃんはお母さんのことを批判的に語ることは一切なく、ただいつも淡々と語る。

 

自分の置かれた状況を客観的に見ることなく、ただ受け入れるしかない子どもはそんなものなのかもしれない。

 

だから私も静かに聞く。

 

 「新しいお母さんはお仕事で忙しいのに、たくさんお世話してくれる優しい人で良かったね」

 

 まりんちゃんは「うん」と笑顔で頷いた。

 

 

 

ごはんを三食食べさせてもらって、お休みには遊びに連れて行ってもらってと、当たり前の生活をさせてくれる新しいお母さんといっしょに暮らすようになって、彼女は前より幸せになっていたのだ。

 

 

 

そんなまりんちゃん、小学3年生の1学期になんと転校することになった。

 

「まりんちゃん今週でお別れなんだって」

 

「違う学校に行くんだって」

「苗字も変わっちゃうんだって」

「お父さんといっしょに従姉妹のところに引っ越したんだって」

 

 学校に娘を迎えに行くと、娘のお友達が次々と教えてくれた。

 

 

 

新しいお母さんは2人目の子供を産んで赤ちゃんのお世話で忙しいはずだった。

出産後しばらくして短期間入院したことも、まりんちゃんからちらりと聞いたことがあった。

もしかしたら身体を壊してしまったのかもしれない。

 

 

 

お別れ会をしたいと仲良しの子たちが言うので、まりんちゃんのお父さんに連絡を取り、翌々日にうちに遊びに来るよう伝えてもらった。

 

 

 

そしてお別れ会当日、続々と娘のお友達が10人集まった。

お別れ会と言っても、ただみんなで楽しく遊ぶだけなのだが。

 

 

まりんちゃんはうちに遊びに来たときいつも

 

 「今何時かな?」

 

 と時計を何度も見る。そして

 

 「ああまだ○時○分だ。まだたくさん遊べるー」

 

 そう嬉しそうに言うと、安心してお友達の輪の中に戻って行く。

 

 

 

楽しい時間がまだまだ終わりませんようにと願っているように見えて、とても愛らしかった。

 

 

 

みんなを遊ばせている最中、まりんちゃんのおばあさまから電話がかかってきた。

 

ご挨拶に伺いますとのこと。

 

家の外にまりんちゃんの叔母さまにあたる方といっしょに車で来られて、子供たちみんなに十分すぎるくらいのケーキやジュースを持ってきてくださった。

 

 おばあさまはサングラスをかけたおしゃれな方で、腰が低くてこちらが恐縮するくらい何度もお別れ会のお礼を言って下さった。

 

いっしょに住むことになったらしい叔母さまは、30代くらいの優しそうな方だった。

 

この方のお子さんで、まりんちゃんの従姉妹にあたる子ども3人といっしょに姉妹として暮らすことになったらしい。

 

 

詳しいいきさつなどはもちろん聞くことはなかったが、とにかく優しそうで気遣いの溢れる親族に囲まれて生活をすることになったことに安心した。

 

以前から従姉妹のところに遊びに行くというのをよく聞いていた。

こんな方たちにちゃんと愛情を注がれていたのだなと気持ちが楽になった。

 

 

 

ひとしきり子供たちが遊んで、帰宅時間の5時半になった。

 

まりんちゃんのおばあさまと叔母さまが車でまた迎えに来て、丁寧にお礼を言ってくださった。

 

次々と家から出てきた子供たちを見て、叔母さまは驚いて「こんなにたくさん、たいへんだったでしょう?」と私を気遣って下さった。

 

 

車の中から中学生くらいの女の子が出てきて、まりんちゃんの頭を愛おしそうに撫でながら 「まりん良かったね。こんなにたくさんのお友達と遊んで楽しかったでしょ」 と語りかけていた。

 

 従姉妹のお姉さんらしい。

 

 まりんちゃんがそんな風にかわいがられる姿をはじめて見た私はとても安心した。

 

これまでのまりんちゃんの境遇を考えると、必要以上に優しく甘やかされてもいいはずだ。

 

 

 

 二人目のお母さんは赤ちゃんと実家に帰ってしまったらしい。

 

ずっと別れて暮らすのか、一時的に離れて暮らすのかは分からない。

 

でもとにかくまりんちゃんはこの家族の中で十分に気遣ってもらえるのだなという安堵。

 

新しいお母さんが溺愛していたはずの弟さんもいっしょに引き取られているのが気がかりではあったが。

 

 

 

子供たちみんなが見守る中、まりんちゃんは黒い大きなワゴン車に従姉妹のお姉さんたちと乗り込み、車の中から嬉しそうに手を振った。

 

 「バイバーイ!」

 

 子どもたちが必死に手を振る。

 

 「また遊ぼうねー」

 

 走り出した車に向かって何人かが走り出す。

 

さようなら、さようなら、幸せにね。

私は胸がいっぱいになりながらまりんちゃんを見送った。

 

 

 

まりんちゃんはそうして、車で10分程の場所に引っ越して行った。

 

 そう、近くの校区に引っ越しただけ。

 

 次はまりんちゃんが新しい学校とお友達に慣れた頃、夏休みにでもお友だちをたくさん集めていっしょに遊ぼうと誘ってみようかな。

 

 

 

まりんちゃんがいっぱい甘えられる環境で育つことを願いながら、彼女の成長をこれからもそっと見守れたらいいなと思うのでした。